Prologue-2
2012年春、京都大学の学部生訪問団が浙江大学を訪問しました。当時はまだ大学3年生だった自分は、大学のボランティアスタッフとして、訪問団をアテンド。それまで、日本に対する認識は全て書籍などといった媒体から汲み取っていたため、抽象的な理解が多く、具体的な認識は少なかったと思います。朝から夜まで訪問団と一緒に過ごした二週間の中で、僕たちはお互いの生まれ育った背景に対して好奇心を持ち、交流を深めました。ここで過ごした二週間は確実に僕たちの友情を育み、今でも彼らと緊密に連絡を取り合い、僕の日本に対する認識もより確実なものとなりました。
当時のことを改めて振り返ってみると、中国語を全く理解できなかった京都大学訪問団の日本人学生数名もいつの間にか中国語検定であるHSKの最上級:6級に合格し、中国へ留学、もしくは就職する人もいました。そのうちの一名は、中国人と国際結婚をし、日中を跨ぐ家庭をも築き上げました。この時の友情は、僕たち一人一人にとって、メディアからの情報を修正する作用があると同時に、それぞれの目標に向けて更なる高みを目指し、視座を上げてくれるような存在です。
この世界は、依然として民族国家を単位とした国際秩序を継続しています。誰もが生まれしながら、政治の枠組みによって国籍という身分を振り分けられ、とある民族国家のメンバーとして教育を受け、さらには文化の洗礼を受けながらその民族の歴史を受け継いでいきます。特に東アジアでは、どの国にもその国特有の文化が根付いています。しかし、それぞれの国は地理的にも近いが故に、歴史的にも多くの物事を共有しています。相互交流や学びの面でも多くを共有していますが、利益紛争や互いの国を侵略し合う事件も歴史のページに刻まれています。特にここ200年の間、グローバリゼーションの波によって、この傾向はより顕著に表れています。正誤を付けにくい利益紛争や、近現代における戦争によって、東アジアに根差す民族国家間には自ずと対立意識が芽生えています。中国と韓国両国においては、しばし日本製品のボイコット運動が起き、2019年には日韓貿易摩擦などもまさに国家間の対立意識を具現化したものだと思います。民族主義は、それぞれの国において、民族を団結させる作用を持つが、同時に国家間に乗り越え難い溝も築き上げました。単純に民族国家の観点から、民族主義によって生まれた溝に橋渡し的なものを探し出す未来は絶望的だと考えます。
幸いなことに、この書籍に携わる若者たちは、東アジアの様々な国・地域での生活経験があり、その経験をもとに執筆活動に参画しています。それぞれが独立した個人として、自身の経験に基づき、興味のある事象に対して深掘りをしていく。僕たちは政治の影響を逃れることも、抜け出すこともしないが、政治に制限されることもないと考えます。僕は本書の執筆に参画して、2012年に西湖のほとりで京都大学の訪問団と過ごした時間を思い出しました。若者が自身を橋渡しとすることにより、政治を乗り越えることが最善の方法であると同時に、僕たちが重視しているのは今の社会だけではなく、僕たち東アジアの若者が共に創っていく未来であることです。